大好きな祖父が永眠いたしました。93歳。寝ている間に息を引き取ったようです。24:00を過ぎた頃に駆けつけたときにはすでに息をしていなくて、体の幹はまだあたたかくて、けれど確かに指先から冷たくなっていました。東京を離れるときに友人たちからたくさんの言葉をもらったときと同じくらい泣いたと思います。ものすごく嬉しくても、ものすごく悲しくても同じくらいの涙がでるのだね。
9月19日に撮った写真がじいちゃん最後の写真になりました。
なんというか、以来心が全然落ち着かない感じです。
~こしかたゆくすえ~ 田舎暮らしを日々記録
大好きな祖父が永眠いたしました。93歳。寝ている間に息を引き取ったようです。24:00を過ぎた頃に駆けつけたときにはすでに息をしていなくて、体の幹はまだあたたかくて、けれど確かに指先から冷たくなっていました。東京を離れるときに友人たちからたくさんの言葉をもらったときと同じくらい泣いたと思います。ものすごく嬉しくても、ものすごく悲しくても同じくらいの涙がでるのだね。
9月19日に撮った写真がじいちゃん最後の写真になりました。

今日もなんだがスッキリしないお天気.日差しはないけれど、わきの下にじわっと汗をかくような暑さがあります.なんか、やだなー.
家の周りに、ルピナスかなぁ?と思う花が咲いていて、花を分けてもらったじいちゃんのうちに遊びに行って花の名前を聞いてきました.
じいちゃんに聞いたら「ノボリフジだよ」とのこと.wikipedia先生に聞いてみたら、ルピナスのことを「ノボリフジ(昇藤)とも呼ばれる」って書いてました.じいちゃんは何でも知ってる.
なるほど、確かに藤の花が上に向かって咲いているようにみえる.ミツバチが蜜を集めに来てました.ミツバチもかわゆいなぁ.

うちの本家のおじいちゃんが遊びに来ました.つっても、ご近所さんなので週一回くらいはお茶ついでにうちの祖母とおしゃべりしに来てるんだけど.
あいにく今日は祖母が外出してたので、そのまま帰ってもらうのもあれだし、一緒にお茶を飲みながらおしゃべりしました.
今年93歳になるおじいちゃんは、5年前に亡くなった私の祖父の6歳年上の兄.これがびっくりするくらい元気.
うちまではフラフラだけど自転車でやってくるし、耳も遠くなっちゃってるけれど、昔のこともよく覚えていてその昔話が聞いていて本当に面白い.
おじいちゃんが戦争に行った時の話をよくしてくれます.おじいちゃんが戦争で中国に渡ったのは支那事変の時.
山西省に行っていたらしく、銃剣をつけて無言突撃したとか、人殺ししに行ってきたんだとか、話す言葉に生身を感じるし、今の私の年齢くらいの年齢で重ねた経験が激烈すぎる.現地で負傷した同郷の友人を看取った時のことを未だに夢に見るとか言う.
私が住む集落で、戦争に行って帰ってきて存命なのは4人だけになってしまいました.できるだけおじいちゃん達世代の話を聞いておきたいのだけど。。。
亡くなったうちの祖父は祖父は大正10年の生まれで、運良く戦争から帰還できたのが終戦の翌年の昭和21年.25~26歳くらい.
戦後の祖父の世代の人たちの話題は間違いなく戦争の話題だったはず.どこに行ってどんな苛烈な経験をした、とか.私が友人とあれこれ駄弁るのと同じように、そういう話題はごく普通に話されていたのだと思う.いつどこで、こうやって人を殺した、殺されそうになった、ってことが話されていたかもしれないのだ.これって実はすごいことなんだろうと思う.
煙草を吸いながら身振り手振りで話をしてくれて、「おしゃべりしてると時間がすぎるのが早いね」なんつって颯爽と家に帰っていったおじいちゃん.んー、素敵だわー.
12月27日は祖父の命日でした.僕が大学を卒業して働き出したその年、
農作業中に倒れたのでした.僕が病室に行った時には若干の意識を取り
戻していて、握り返してくれた手の力の弱さがなんとも切ない感覚.
祖父の葬式の時に親戚の方から聞いたのだけれど、戦後、満州から戻って
きた祖父は一度結婚したのだけれど離婚したのだそう.農家の嫁としては
体が弱い、ということで親戚一同の反対にあい、奥様は里に戻されてしまっ
たのだそう.誰が悪いとかではないけれど、そういうことが日常的にあった
時代なのだと思う.
その方がその後どうなったのかなんて全然知らないけれど、祖父にも色々
あったのだろうと思うと妙に泣けてきたのでした.タラレバは意味ないと
分かっているけれども、祖父の離婚が無かったら僕もいなかったわけで、
巡り合わせの不思議を思わずにはいられないのでした.
田舎に戻ってきて、近所の親戚の人に会うと、あんたが一番じいちゃんに
似てるよ、と言われることが多くて、その度に背筋がシャンとするのでした.
うむ、誇りである.
春になったら、かつて祖父がそうしたように田んぼと畑を耕そう、と.